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1、お仏壇のまつり方 |
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ご先祖のお位牌だけしかないお仏壇をみかけますが、お仏壇は家庭の小さなお寺ですので、正面には信仰の対象であるご本尊をおまつりしなければなりません。曹洞宗では三尊仏(真中がお釈迦様、右に永平寺の道元禅師さま、左に總持寺の瑩山禅師さま)をお祀りします。先祖のお位牌は本尊さまの横に安置しておきます。お線香、お灯明、生花、お水、食物の五つの供養は怠らずいたしましょう。 |
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2、塔婆(トーバ) |
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梵語の意訳、卒塔婆(ソトーバ)の略。五輪塔を象徴したもので、最上層は人間の頭を意味し、第二は顔、第三は胸、第四は腹部、第五は脚とされる。仏の全身人、尊体を表している。角塔婆、略式の板塔婆がある。長さも地方により異なるが、最高の先亡供養である。
(1)宝珠形(頭)(2)半月形(顔)(3)三角形(胸)(4)円形(腹)(5)四角形(脚)
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3、位牌 |
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「牌」は「籍」と同じであり、その人の位、姓名を記したものであるので、「位牌」という。お葬式の時から四十九日までは白木の位牌を安置するが、忌が明けたら、塗り位牌、繰り出し位牌、過去帳入り位牌等に換える。三十三回忌の弔い納めを終えた位牌は先祖代々に合祀してもよい。 |
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4、お焼香の仕方 |
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お焼香は、抹香を二回焚きます。一回目を「主香」といい、右手の浄指三本(親指、ひとさし指、中指)で香をつまみ、左手を添えて、額のあたりまで頂き、亡き人を偲びながら香炉に焚く。二回目は「従香」といい、最初の主香が消えないように抹香を加えるのが目的ですから、ただ右手でつまんでそのまま焚きます。 |
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5、イロ |
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葬儀に際し、近親者は「イロ」と呼ぶさらしの布切れを着用する。男性はひもを作って首から前にたらし、女性は襟元に挟み込んで肩の後ろにかける。葬儀中、告別のお焼香が終わると取り去る。イロは昔の喪服。現在の喪服は西洋流で黒となっているが、昔は男女とも白が正装であったらしく、イロは白無垢の略式と思われる。白無垢の言葉どおり白は清浄無垢を意味し、白衣を着て忌明けまで身心を清らかにして喪に服した。 |
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6、仏事の服装 |
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危篤または死亡の知らせを受けたら、直ちにかけつけなければならないので普段着で良い。通夜、葬儀は喪服(略式礼服)を着用し、学生は制服、子供は地味な服装に黒靴下を着用する。女性は着物又は黒のドレスにする。数珠は左手首に掛ける。ハンカチは白、カフス、タイピンは光るものは避ける。 |
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7、お線香は何本立てるのか |
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一本でも二本でも、あるいは三本でもよい。なるべく真っ直ぐに立てる。意味を考えると、一心不乱のお参りで一本、二本は自分自身と、ご先祖さまに、三本は仏法僧の三宝の意味か。香りのよい高級お線香を一本、これが良いでしょう。 |
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8、数珠は何のため |
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お葬式やご法事には数珠は欠かせない。仏教徒のシンボルであって、クリスチャンの十字架のようなもの。数珠の起源は、インドのブッダガヤーの大樹の下でお釈迦さまがお悟りをひらかれたとき、その頭上の木の実を紐に通して、一つずつ指でまさぐっては仏さまの名を唱えたそうです。そこで数珠(数をかぞえる玉)と呼ばれるようになった。その樹木は後世「菩提樹」と名づけられ、その実は現在でも数珠として使われている。やがて、石やガラス等様々な玉ができ、数も百八や、その半分、そのまた半分の二十七玉や、二十二玉、十八玉等がある。数珠は一生を通じての心の守り本尊となってくれるので、お守り代わりにいつも携帯していても差し支えない。 |
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9、年忌法要 |
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死後満一年経った日を、亡き人が一年を迎えたというので一周忌とする。二年後の命日には亡くなって三年目を迎えるということで三回忌を行う。その後は六年後の命日が七回忌、十二年後の命日が十三回忌。後は十七、二十三、二十七、三十三回忌となる。一周忌以降の年忌法要はこれを迎えるという意味から、「かぞえ」で数えることになっている。一般的には三十三回忌を弔い上げ、弔い納めといって追善供養の終わりとする。特別に五十回忌、百回忌の報恩供養を行うこともある。
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10、忌明けが三月(みつき)にまたがる |
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四十九日法要の相談でよく聞かれることが、「四十九日は三月にまたがるといけないそうなので、期日を早めたいのですがよろしいでしょうか」というものです。この質問が結構多い。これは単なる語呂合わせで、「四十九日」は「始終苦日」、「三月」は「身付き」として、「始終苦日が身に付く」からとなったようです。理由を知れば、誰かが考えた迷信であると解ります。月の中旬から下旬に亡くなった人は必ず三月にわたることになります。正式な四十九日法要をお勤めいたしましょう。 |
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11、ご命日のお供え |
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亡き人のご命日には「お霊膳」をお仏壇にお供えしましょう。亡き人が食べることのできるような状態でお供えします。お仏壇側から見て、箸、ご飯(左)、汁(右)、香の物(中央)、お平(左上)、お皿(右上)とお膳に並べます。仏壇屋さんで小型の本膳が売られていますので、お仏壇にあったものを買い求めてください。 |
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12、曹洞宗の三尊仏 |
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三尊仏とは、曹洞宗のご本尊さまであるお釈迦さまを中央に、右脇にに正しいみ教えを伝えられた永平寺の道元禅師さま、左にそのみ教えを全国に広められた總持寺の瑩山禅師さまのお三方(一仏両祖)をご絵像にして一幅のお軸にしたものです。(それぞれの方のお掛け軸になったものもあります)ご家庭のお仏壇の中心におまつりいたします。 |
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13、末期の水 |
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お釈迦さまはインドのクシナガラの地で八十歳でご入滅になられましたが、この世の最後に弟子の汲んできたお水をたいへんお喜びになり、美味しくお飲みになられたというご因縁によります。ご臨終を告げられたら、新しい割り箸の先に脱脂綿を白糸で巻きつけ、茶碗に入れたお水に浸して、お釈迦さまの故事にならって死者の唇を濡らしてさしあげます。 |
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14、北まくら |
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ご遺体は仏間または座敷に北まくらにして寝かせます。これはお釈迦さまが亡くなられた時のお姿で、「そのとき世尊は、右脇にして臥す。頭を北方に枕し、足は南方を指す、面は西に向かい、後背は東方なり」(頭北面西右脇臥)という故事によるものです。安置終えたら晒しの白布で顔を覆い、両手は結んでおきます。お寺に連絡をして枕もとで読経してもらいます。(枕経) |
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15、まくら飾り |
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ご遺体の枕もとには白布を掛けたお仏壇の前机あるいは小机を置き、香炉(線香立て)、燭台(ローソク立て)、お花立てを用意し、お線香、おローソク、お花を供えます。おリン(鐘)を用意し、紙華花(しかばな)を造り枕飾りの両側に置きます。(最近では紙華花は葬儀社で用意して持ってくる)枕団子をお供えし、死者の胸には刃先を顔の方に向けないようにして魔除けの小刀、剃刀、又は鎌を置きます。故人愛用の数珠を手に持たせます。 |
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16、湯灌 |
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遺体を棺に納めるときに湯水で体を拭くことを「湯灌ゆかん」といいます。現在は病院で済ますことが多く、アルコール液を用いますが、以前は湯水を使用しました。湯灌をする人は自分の体を荒縄で縛ってから行います。これは亡くなられた方の霊が体の中に入らないように、忌みがかからないようにするしめ縄の代用です。お線香を焚いて煙りを湯灌場所いっぱいに充満させます。現在では葬儀社のりっぱな自動洗浄機もあると聞きます。 |
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17、 納棺 |
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湯灌に続き、遺体の髪をきれいに整え、男性ならばひげをそり、女性ならば薄く化粧をほどこします。死出の旅支度をして棺に納めます。手は結んで数珠を持たせます。故人愛用の品をいっしょに納めても差し支えないですが、火葬にする関係上不燃物は控えます。釘は打たずそのまま蓋をし、棺掛をして祭壇に安置します。 |
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18、死装束は巡礼の姿 |
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人が亡くなると、死装束に着替えてから納棺します。まず「経帷子きょうかたびら」と呼ばれる白い木綿、麻などで作られた着物を着せ、両手には「手甲」を付け、足には「脚半」を巻き、「白足袋」、「草履」、頭には「頭巾」、首からは「頭陀袋」を掛け、杖と笠を持たせます。頭陀袋には「六文銭」(実際には紙に印刷されたもの、三途の川の渡し賃とされる)を入れる。これは昔ながらの「巡礼の姿」、冥土の旅支度です。ご自分の笈摺がある(生前授戒、生前巡礼等で頂いてある)方はそれも入れてやります。 |
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19、四十九日裁判 |
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人が亡くなってからの四十九日間を、仏教では「中陰ちゅういん」と呼ぶ。この期間に、死者が次にどこに生まれるかを決める裁判をする。裁判官は、初七日:泰広王、二七日:初江王、三七日:宗帝王、四七日:五官王、五七日:閻魔王、六七日:変生王、七七日:泰山王。七人の裁判官が七日ごとに死者を裁く。裁判の末、生まれ変われる世界は六つある。1、天上界 2、人間界 3、修羅の世界 4、畜生の世界 5、餓鬼の世界 6、地獄界。果たしてあなたは・・・。 |
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20、十三仏信仰 |
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葬儀場の祭壇中央にお祀りする十三仏さま(お宝さま)は、インド起源の初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日の計七回の法要で七仏事。それに中国の百ヶ日、一周忌、三回忌が加わって十仏事となり、さらに日本で七回忌と十三回忌、三十三回忌が務められ、これで十三仏事となる。葬儀場にこの十三仏をお祀りして、お経、お念仏、御詠歌等を上げ一刻も早い死者の成仏を願うものです。不動明王、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩、薬師如来、観音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来、阿閃如来、大日如来、虚空蔵菩薩が十三の仏さま。 |
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21、 正座は儀礼の一つ |
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読経が始まったら、最初の十分ぐらいは正しく座った方がよい。正座の仕方は、両ひざの間をにぎりこぶし一つ(約15センチくらい)開け、右足の親指の上に左の親指を重ねる。長時間座る時は親指の重ねを変えるとしびれない。背筋を伸ばし、尻をどっかりとすえ、頭が左右に傾かぬようにし、アゴを引く。手は掌を上にして、右手が下になり、左手をその上に重ねます。(法界定印という坐禅の時の手の形、お仏像の手はすべて掌を上にして座っています)背筋をピンと張ると、坐禅と同じように両肩が後ろに引かれ、胸全体が開く感じがします。呼吸が深くなり、心も落ち着きます。 |
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22、友引の本当の意味 |
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「大安」は婚礼の日、「友引」はといえば葬式をしない日とするのがどこでもしきたりとなっている。「友引」「大安」「仏滅」などは、中国から伝わった「陰陽道」の中の、日の吉凶を表す「六曜」からきている。これによると友引が特に、「お葬式に良くない日」というふうには決められていない。ただ単に文字の上で、「友を引く・・仲間を誘う」「死者が親しい友人を呼び寄せる」として葬儀を行わないのが一般的となっている。迷信としか言い様がないが、そのしきたりが世間の常識となっており、友引の日にお葬式を出すことはそれを気にする会葬者にも迷惑をかけることになるのでほとんどおこなわれていない。 |
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23、輪袈裟 |
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僧侶が大衣の上から肩に掛ける法服を「お袈裟」といいますが、一般檀信徒の方はそのお袈裟を簡略化した「輪袈裟わげさ(輪絡子わらくす)」を受持することができます。お袈裟は、「解脱服」「如来衣」「無上衣」などと呼ぶように、正しい信仰に生きるための最尊最上の功徳を備えている法服です。仏事儀式にはお数珠とともに、必ず身に着けていただきたいものです。なお、広厳寺檀信徒の方には平成12年10月に挙行されました住職晋山結制式に於いて記念品として授与してあります。また、正式な絡子も授衣作法により(福田会にてご自身で裁縫してから)授かることができます。 |
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24、遺体は24時間おく |
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死は心臓の鼓動が停止したと医師が判定したとき死とみなされる。ところが心臓の鼓動だけが止まっても、他の肉体的な細胞が完全に死にいたっていないため、死を確認するために一昼夜以上を経過してから火葬を行うことになっている。昔、親族が遺体を前にして通夜のとき、突然棺の蓋をあけて死人が蘇って出てきたという話が伝えられている。何かの発作で一時、呼吸が停止し、しばらくして息をふきかえしたもの。このようなことから遺体を棺に納めても出棺まで蓋には釘を打たないでおくしきたりがある。 |
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25、年賀欠礼 |
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服喪中は賀状送付は控える。例年出している相手には十二月初旬に、年賀郵便の受付開始前までに到着するように「年賀欠礼」の挨拶状を送る。最近では故人が二親等(祖父母、兄弟姉妹、孫)以上で別世帯の場合には賀状を出したり、新年を祝ったりする。欠礼状を出さずに相手から賀状を受けたときには、新年を迎えてから寒中見舞いを兼ねて、「喪中につき賀状失礼いたしました。」とお知らせする。喪中に年を越す場合は、門松、鏡餅、正月用の飾り、年始廻りはしない。神社参拝も控える。 |
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26、ついで参り |
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葬儀あるいは年忌法要のお墓参りの時に、遠方から法要の為にしばらくぶりで駆けつけて来たご親族で、今度いつ来られるかわからない、久しぶりだからということで、近くのご先祖さまのお墓、親戚のお墓などにもお参りする方がおられます。これを「ついで参り」と言って嫌う習慣があります。「ついでに」と言う気持ちがいけません。心を込めて誠を尽くすという気持ちを持ってのお参りであれば、前日から到着しているのであれば前日に、当日であれば少し早めに来てお参りを済ませておくようにすれば「ついで参り」とは言いません。せっかくのお墓参りであるならば心の余裕も必要です。 |
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27、 不祝儀袋の表書き |
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1、お寺への包み(葬儀~四十九日)表書きは「御布施」で水引は黒または銀、2、お寺への包み(法事)「御布施」黄色水引、3、通夜参列(御伽見舞・御通夜見舞)黒水引、4、葬儀参列(御香典・御霊前)黒水引、5、初七日~四十九日(御霊前)黒水引、6、法事参列(御仏前)黄色水引、7、香や花の代わりにお金を包む場合は、御香料、御花料、8、(御供)お菓子、果物などのお供え物の表書き、9、(志)香典返し、引物の表書き。10、香典は故人の霊を弔う「香」の料金のことで、昔は実際に香を持参していたが、現在ではその代わりに現金を包む。「御香典」には必ず住所、氏名、金額を記入する。11、年忌法事、先祖供養、墓経、命日供養等は(御布施)と書き、黄水引が一般的。御年始、御盆礼、御彼岸礼、大般若祈祷料、開眼料(石塔、仏壇)は「祝儀袋・赤水引」を用いる。 |
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28、 一周忌と三回忌 |
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「亡くなって一年目の法事が一周忌なのはよくわかるが、一周忌の翌年(丸二年)が何で三回忌になるの?」一年目の法事は一周忌といい、翌年の法事は三回忌といって三周忌とは言わない。一周忌は一年周ってきたときの忌日をいい、三回忌は三回目の忌日のこと。周忌と回忌は意味が違ってくる。一周忌は満で一年目という数え方、三回忌はかぞえ年であらわす。言い方をかえれば、一周忌は二回忌で、亡くなった当日が一回忌。かぞえ年とは、母親のお腹に命が宿ったときから数え始め、十月十日後に生まれたときが一歳になる。そこで位牌の享年○○歳も仏教では満年齢でなくかぞえ年になっている。ようするに、死んだらまたあの世に生まれる。生まれたときが一歳、一周忌は二歳、二周忌目は三歳で三回忌(忌日を三回むかえる)、その後は六年目が七回忌、十二年目が十三回忌となる。 |
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29、 白木位牌と本位牌(塗り) |
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白木でできている位牌は葬儀から四十九日まで用いる仮の位牌であり、四十九日法要からは新しく塗りの本位牌を用意します。また、お仏壇に位牌がたくさん祀られている家では三十三回忌の弔い納めを過ぎた個人の位牌は祖霊として先祖代々の位牌に合祀して、その位牌は菩提寺にお願いして焼却供養してもらいます。 |
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30、三十五日と四十九日 |
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仏教では人間の生まれた瞬間を『生有』、死の瞬間を『死有』といい、生有から死有の間を『本有』、死有から生有までを『中有』と呼んでいる。この中有が『中陰』すなわち死後の『四十九日間』のこと。
地域によっては葬儀の後、その場で『三十五日』の法要を行う。これは死亡日から数えて七日目ごとに行われる「中陰供養法要・初七日から七日ごと四十九日まで」に参列できない人のために、四十九日の期間で最も重要な三十五日目(死者は閻魔大王の裁きをうける、閻魔さまは地蔵菩薩の化身とも言われている)を参列者みんなで供養をして亡き人の歩まれる道が少しでも楽になるようにと、葬儀後の法要として行われるようになった。
四十九日目は『満中陰』といい、この最後の追善供養により地獄、餓鬼、畜生、修羅の悪趣世界ではなく、人間、天上という善趣へ趣くとされている。 |
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31、のど仏は二つある? |
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火葬場で拾骨する際、竹と木で一対にした箸で霊骨を二人で挟み、足の方から順に骨箱に収めてゆく(箸を使うのは浄土への橋(箸)渡しを意味する)が、頭をいれた後、「これがのど仏です」と係の人に説明を受けて小さなお骨を紙に包んで骨箱に収める。のど仏とは体のどの部分なのか疑問であったので調べてみたら、「第二頚椎」とある。一般的には男性ののどに見られる突起している部分(女性には無い)がそれであると思われているが、この骨は甲状軟骨というもので火葬にすると全部燃えてしまうらしい。人間の首が回るのはこの頚椎があるからで、脊髄を守っている丸い輪っか状の骨がそれで、そこに突起しているジョイント部分が「第二頚椎」、いわゆる「のど仏」とされる。その場所ものどに近く、かたちも坐禅を組んだお坊さんに見えるところから、「のど仏」と呼ばれている。
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32、摩訶般若波羅密多心経 |
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略して「般若心経」と呼び、お写経に用いる経典でもあります。本文はわずかに二百六十六文字、元となるのは「大般若経六百巻」で、大般若法要で大勢の和尚様が「だいはんにゃ」と大きな声を上げ、パラパラと転翻する経典です。その中の最も大事なところを説いてあるのが般若心経です。摩訶(偉大な)般若波羅密多(六つの善行 布施、持戒 忍辱、精進、禅定、智慧を説く)心のお経。ギャーテーギャーテー ハーラーギャーテー ハラソーギャーテー ボージーソワカ 行きましょう、行きましょう、みんなで向こう岸(彼岸)へ。仏心をもって生活をすることがそのまま彼岸(悟りの世界)です。
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33、お袈裟のはなし |
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お袈裟は福田衣という。福田は作物の沢山とれる水田のこと。お釈迦さまは仏弟子と当寺のバラモン僧の見分けをつけるため水田を見てお袈裟をお考えになられ、幾つもの布きれをきちんと縫い合わせ耕地整理されている水田の如くに作られました。「田はそこから命のお米が生まれ幸福をもたらす」「おまえ達も自分の心の田を一生懸命耕して、福徳が授かるように仏の道に精進しなさい」と言われ、それ以後、お袈裟(福徳を生む田の形の衣、福田衣)が大切に扱われ、仏道修行するもののシンボルとして身に着けるようになりました。道元禅師の著述「正法眼蔵」には「袈裟功徳」「伝衣」の巻があり、天童山での修行中「袈裟頂戴の偈を聞き感激の涙止まらず」の思いが今現在も伝えられていることは誠に有り難い。
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34、数の単位は仏教語 |
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下の単位が「毛」、上が「兆」ぐらいはよくわかる。その下は(分、厘、毛)、絲、忽、微、繊、沙、塵、挨、渺、漠、糢糊、逡巡、瞬息、弾指、刹那、六徳、虚、空、清、浄まで。上の単位は(億、兆)、京、垓、 、穣、溝、潤、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由多、不可思議、無量大数で終わり。どのような経緯で誰がこれを定めたのかわからないが、仏教語がたくさん使われている。数も限りないように仏教の教えも広大無辺。「法門無量誓願学」(法門は無量なれど誓って学ばんことを願う)、み教えを学ぼうとするときこれで終わりということは無い。
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35、お釈迦さまの寝方 |
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インドのお釈迦さまのお涅槃の地、クシナガラへ行きますと大きなお涅槃堂があり、お釈迦さまのご入滅のお姿を拝むことができます。沙羅双樹の下、大勢の弟子達、沢山の動物たちに囲まれ、頭北面西右脇臥にてお亡くなりなられました。普段就寝の時もこの姿勢でお休みなられていたとされています。
お互いの寝る作法も頭を北にし、西向きに右脇腹を下にして寝るのが仏さまの寝方です。寝方に限らず何事も仏さまの真似をする。仏さまの食べ方、坐り方、仏さまと同じような生き方をする。それを成仏したと言います。
ご遺体は北枕にする風習がありますが、お釈迦さまのお涅槃のお姿を真似たものです。最後の時では間に合いません。生きているうちからお釈迦さまを学びましょう。学ぶ、まねぶ、まねしているうちに仏さまのお徳をいただくことができます。
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36、五色幕 |
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お寺の本堂大間に吊り下げられている五つの色が順番に縫い付けられた幕は、「五色幕(ごしきまく)と言い仏教では重要な意味を持っている。青、黄、赤、白、黒(樺)の五色。青はお釈迦さまの髪の色で、心の落ち着いた状態、禅定をあらわす。黄は身体そのもので、不動の姿、金剛身。赤は脈々と流れ、止まることのない釈迦の血液の色、常の精進。白は清らかな歯であり、清浄心。黒(樺色)は釈迦の聖なるお体を包む袈裟の色で何ごとにも堪え忍ぶ、忍辱(にんにく)を表現している。五色の幕は本堂を荘厳するとともに、お釈迦さまのお姿、み教えに包まれている自分であることをあらわし、仏の道を歩む我々を常に励ましてくれている。
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37、彼岸と此岸 |
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春と秋の二回気候の良い時期に定められた仏教の修養期間です。お中日にはお寺やお墓へお参りをしてご先祖さまのご供養をいたします。大きな川をはさんで彼岸と此岸といいますが、此方の岸から向こう岸(彼岸)へ渡りなさいと仏教では教えています。迷い苦しみのこの世界を娑婆(耐え忍ぶ・忍土)といい、そこから脱して仏の世界をめざしましょうということ。生き方次第でこの世も彼岸となります。彼岸に渡る六つの修行をいたしましょう。1、施しをする(布施)2、生活を正しく(持戒)3、耐え忍び(忍辱)4、何事にも努力(精進)5、心安らかに(禅定)6、正しい判断をする(智慧)。仏さまの眼し、考え方をもってこの世界を生きることが彼岸へ渡ることです。「羯諦(ぎゃーてー)羯諦(ぎゃーてー) 波羅(はーらー)羯諦(ぎゃーてー) 波羅(はら)僧羯諦(そうぎゃーてー) 菩提(ぼーじー)薩婆訶(そわか)(行こう行こうみんなで向こう岸へ)」 |
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38、お仏壇の礼拝の仕方 |
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お仏壇の中心にはご本尊様(曹洞宗ではお釈迦様)を安置します。その両脇、向かって右に大本山永平寺開山道元禅師様、左に大本山總持寺開山瑩山禅師様をお祀りする。(一仏両祖)その下の段にご先祖様、亡き人のお位牌、経机の上には、ローソク立て、花立て、真ん中に線香立てを置きます。(*五具足―花立て2、ローソク立て2、線香立て1*三具足―花立て1左、ローソク立て1右、線香立て1中央)五具足、三具足どちらでも良い。毎日のお参りにはお水、お茶、ご飯をお供えし、手に数珠を持ち、お明かしを点け、お線香を上げ、おリンの内側に撞木(たたく棒)を入れて手前に向けて二つ打つ。(間隔を開け二回鳴らす)おリンの余韻を聴きながら、しばし姿勢を正して座り、しっかりと両手を合わせてご本尊様、ご先祖様のお位牌を感謝の気持ちを込めて丁寧に拝みます。 |
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39、のし袋 |
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お通夜やお葬式などの不祝儀袋は、裏面の下の部分を最初に折り曲げ、その次に上を折り曲げて重ねる。水引を抜いて中身を入れたなら水引は上から差し込む。「不幸は水に流す」作法である。お祝いの袋は逆になっていて、上を先に折り、下の部分を重ね、水引は下から入れる。「幸せを受け止める」ことからこのようにする。ちなみに、お通夜、お葬儀、初七日から忌明け(四十九日)までは白黒水引を使用し、表書きは、通夜は「御伽見舞」「御通夜見舞」、葬儀は「御香典」「御香資」とする。その後の法事等で施主家にお参りする場合、四十九日までは「御霊前」と書く。その後の法事は黄色の水引で「御仏前」とし、法事の始まる前に祭壇にお供えして恭しくお参りを済ませる。 |
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40、水道の蛇口 |
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水道の水の出る口を「蛇口」という。神社やお寺にはよく手水場が設けてあり、この水の出る口は龍の形が多い。参拝者は本殿にお参りする前に手水鉢から水を汲み、手を洗い口を漱いで身と心を清める習慣がある。又、四月八日のお釈迦さまのお誕生日には甘茶をかけてお祝いをする。甘茶は産湯の意味があるらしく、天人の使いである二匹の大蛇が降りてきて口から甘茶をそそいで釈迦誕生の産湯とした。龍も蛇も天人の使い、そこから流れ出てくる水は天の恵み、浄らかな水、その意味から蛇口と言う。蛇口を拝んで水資源を無駄なく大切に使いましょう。 |
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41、弔電作法 |
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葬儀の場で喪主の縁戚の方がご霊前に進み出て、弔電を読み上げることがしばしばある。その作法は、①導師に一礼、②ご霊前に進み合掌、焼香し、③「弔電がまいっておりますので、ご霊前にてご奉読申し上げます」と言ってから読み上げる。「ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます」(逝去・せいきょ)(悼み・いたみ)と読む。④読み終わって「以上、謹んでご霊前にお供えいたします」と言い、壇上に置く。⑤再度合掌、焼香して、⑥導師に一礼の後、自位に着く。弔電多数の場合は時間の都合上、四、五通電文から読み上げ、他は役職、ご芳名のみとする。「以下、電文を省略させていただきます。○○会社○○殿・・」
祝電はその場にいる方に広く発表するものであるから、「披露」で良いが、弔電の場合は故人に読み聞かせるもので、「奉読」(つつしんで読む)とした方が良い。「拜読」との謙譲した言い方もある。 |
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42、引導を渡す |
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曹洞宗の葬儀式では導師が「引導(いんどう)を渡す」作法がある。亡くなられた人を仏の教えにより、仏の世界へ導き引き入れることを意味する。導師は「引導法語(いんどうほうご)」を述べる。故人の死を悼むとともに、生前の生き様、これまでのお徳、善行を述べ、これからの仏弟子としての生きる道を教示するもので、禅宗葬儀の際の最も重要な部分になる。
引導法語の最後に、静かに唱え、又は大きく声を張り上げる言葉を「一(いち)字関(じかん)」と言う。「露(ろ)」「*1(い)」「喝(かつ)」・・・。これは中国禅宗で高僧が弟子達を導くときの励まし、叱咤の語(一字をもって人を説得させる)であったが、葬儀においても故人をお悟りの世界へ導き入れるために用いられるようになった。
あいつにはもうこれが最後、『引導渡してやった』などとよく使う言葉ですが、よほどの仏道に精進した人でないと人を説得することは難しいものです。
(*1は「口」偏に「夷」) |
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43、お仏壇・お位牌 |
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お寺の本堂正面、ご本尊様をお祀りしてある壇を「須弥壇しゅみだん」と言い、「須弥山しゅみせん」という仏さまのおられる理想世界を現している。各家庭のお仏壇も本堂のミニ版であるから正面にご本尊様を祀る。曹洞宗のご本尊はお釈迦さまで、本尊称名は「南無釈迦牟尼仏なむしゃかむにぶつ」とお唱えする。
お位牌は、「死者の霊の依り代」とされお戒名を記して安置する。お仏壇にお位牌を置くことは、亡きご先祖さまがみ仏とともに極楽浄土にあることを意味している。
白木のお位牌は葬儀の際の仮のものであるから、四十九日忌明け法要後に塗りの本位牌に替える。(必ず開眼供養をしてからお仏壇に納める)お位牌だけでなくご先祖さま方を記した過去帳を用意してご命日を偲び供養を続ける。 |
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44、お斎・直会 |
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仏事(葬儀、年忌法事等)では法要後の食事のことをお斎(とき)と言い、親族、知人が集い僧侶を交えて会食する。本来のお斎は修行僧の食事(精進料理)のことを指したが一般にも使用されるようになった。亡き人を偲び、杯を献じ、亡き人と共に頂く食事であり宴会でないことに注意したいもの。
直会(なおらい)という言い方は、神社に於ける神道の食事のこと。神事に参加したものが神酒をいただき神饌を食する。平常に直ることの意味もある。
段くずしは、葬儀後お手伝いいただいた関係者と身内で最後に慰労をかねての食事をすること。現在ではお斎は普通の料理(本膳)であるが、昔は、まな板直しと言って四十九日を終えて初めて生ものを食べた。今でも初七日過ぎるまでは精進料理しか食べないという地方もある。 |
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45、献杯と乾杯 |
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通夜振る舞い、葬儀のお斎には献杯することがある。献杯(ケンパイ)は杯を献ずる(捧げる)ことで、故人のお骨、位牌、写真を正面に安置し、献杯する飲物をお供えしてから指名されたものが音頭をとる。「故・・・・様のご冥福をお祈りし、献杯!」と言って杯を上げる。終わって一同合掌の後、故人の思い出を語りながら慎ましく食事を頂く。
乾杯は杯を乾すこと。益々の発展を期して杯を上げてお祝いする。指名を受けた者は朗々と大きな声で「乾杯!」と音頭をとり杯を飲み乾す。逆に献杯の発声は在りし日の故人を思い念じて、静かに低声に発し合掌で終わる。 |
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46、剃髪 |
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お坊さんはなんで頭をツルツルに剃っているの? よく聞かれる質問です。なぜ髪を剃るかと言いますと煩悩を消し去るためです。お経の中に、「剃除鬚髪 当願衆生 永離煩悩 究竟寂滅」とあり、この偈を唱えながら剃髪します。髪の毛は剃っても剃ってもまた生えてきます。髪の毛と同じく煩悩も無くしても無くしてもまたわいてきます。髪の毛を煩悩にたとえ、剃髪することによって煩悩を消し去るという意味があります。
この剃髪は、曹洞宗ではお葬儀の時に亡くなられた方にまず剃髪の儀式をいたします。仏弟子となっていただく、得度をしてあの世に旅立っていただきます。葬儀の際にはみなさんにお剃刀をあてます。 |
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47、僧侶の呼び方 |
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お檀家さんが菩提寺の住職を呼ぶ場合、宗派によって呼び方が違います。曹洞宗では「方丈様」が一般的です。他に「ご住職さん」「和尚様」と呼んだりもします。「方丈」とは、一丈四方(四畳半くらい)の室のことで、住職の居住するところを言い、昔インドの維摩居士という修行者の部屋が一丈四方であったという故事に由来している。また、住職の住まいを「方丈間」と呼んでいます。
日蓮宗は「お上人様」、浄土真宗「御院主様」、真言宗「僧正様」「院家様」と呼ぶそうです。ちなみに、曹洞宗の副住職の場合は「若方丈様」「若和尚様」と呼んでいます。 |
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48、襪子と足袋 |
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法要儀式の時に僧侶の足もとをよく注意して見て下さい。指の別れていない靴下式で小鉤のついた白い履き物を着用しています。襪子(べっす・しとうず)と言い中国禅宗より伝わり、安土桃山に始まり奈良平安時代と日本でも使用されるようになりました。中国は土間の法堂ですので僧侶は法堂沓(はっとうくつ)を履きその下に沓ずれしないように襪子を着用しました。(昔は小鉤でなく足首を紐で結んだもの)現在では寺の本堂は畳ですので沓を履かないで襪子だけ着けています。檀信徒供養、及び特別法要には必ず着用する決まりがあります。
足袋は、単皮、単(ひとえ)の皮、指足の割れている履き物で、草鞋を履くようになってから防寒の為に着け、それが一般に普及し材料も木綿になり、気軽に草鞋に足袋を着けて出かけるようになったようです。江戸時代以降では草履や下駄となり庶民が好んで足袋を用いるようになりました。ちなみに地下足袋は足袋そのままで履き、動きやすいので職人さんに普及しました。 |
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49、神棚と仏壇 |
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人が亡くなるとお家の神棚を白い半紙などで閉じ、四十九日忌明けが済んでから取り除き神棚の祀りを再開します。これを「神棚封じ」と言い、神様の住む聖なる場所である神棚に死忌が及ばないように封印するものです。
お仏壇を閉めるのは間違いで、「神棚を閉じる」ことと「仏壇を閉じる」ことを混同しているように思われます。忌中の間もお仏壇のご本尊さま、ご先祖さまには香華灯燭仏飯をお供えし、日々の礼拝を続け、亡き人を一刻も早くみ仏の浄土へとお導きくださるように祈願いたします。なお、宗派によってはその限りではありません。 |
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50、油断大敵 |
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滋賀県大津市にある天台宗総本山比叡山延暦寺の根本中堂には、開祖最澄の時代から1200年間途絶えたことがないといわれている『不滅の法灯』がある。僧侶が毎日、灯が消えることのないようになたね油を注いでいる。油断の「油」は電気の無い時代の明かり、行灯などの油のこと。うっかり油を注ぐのを怠ると大切な灯が消えてしまい大変なことになることから、準備を怠った事で事態が悪くなることを「油断」というようになった。織田信長によって比叡山は焼き討ちに会うがこの不滅の法灯だけは持ち出され難を免れた。これを語源とする四文字熟語が『油断大敵』である。他の説もある。 |
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51、不幸と梅干し |
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「不幸があった年は梅干しは漬けない」「不幸の年に漬けた梅干しはカビが生える」とか言います。不幸と梅干しは何ら関係がありません。昔から「梅干しはその日の難逃れ」と言われるとおり健康面で果たす役割はとても大きなものがあります。今の時代のように医学が発達していなかった江戸時代の人々には、本当に大切な常備薬であったようです。それだけにカビを生やさないように、腐らせないようにと丁寧に慎重に作り、気が抜けない作業であったと思われます。不幸の時には心が不安定になり、気持ちが落ち着かなかったり、他の事に忙しくて、梅干しに手間をかける暇もなく腐らすことが多かったのかも知れません。どんなときでも落ち着いて冷静に事を為すという戒めで捉えたらどうでしょう。 |
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52、ご仏前にお供えものをするときの向きは? |
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仏さまや亡き人にお供えするのだからとそちらに向けてお供えしている方がほとんどです。その気持ちは理解できますが、仏教の教え「回向えこう」から言えば、仏側でなく、「ご仏前・・」や「供・・」と書いた菓子折等、お参りする側に氏名等の字が読めるように向けておくのが正しい作法です。仏さまやご先祖さま、亡き人に「どうぞ召し上がってください」という願いからだと思いますが、仏さま側から「有り難う、みんなで食べてください」と差し出したものという考え方です。
お花もきれいな方(正面)はお参りする方々の方に向けて飾りますが、これも「回向」です。「きれいなお花を有り難う、お花のように美しく生きていてください」との仏さま方の願いなのです。ご法要はみな「回向」です。仏の側から自分に功徳がもたらされます。例外としてお霊膳はお箸を仏さま側に向けて食べていただきます。 |
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53、忌中札 |
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家族が亡くなると「忌中札」を玄関先に立てる風習があります。これは「この家では不幸がありました、今四十九日忌の最中です。亡き人が迷わず極楽浄土に到着できますようにと供養を続けています。」と人々に知らしめるためです。これを見て通る人は手を合わせて安らかなる旅路を祈ります。ところがこの忌中札に葬儀の日程等を書いておきます。(別に門牌を置く場合もある)いつ、どこで(会館)、何時から、通夜、葬儀といった情報が書かれています。その時間帯は恐らく家は空の場合が多いので、それを狙った泥棒がいるとのこと、以前は自宅葬でしたからあまり気にはしませんでしたが、何とも物騒な世の中になりました。その結果、都会では「忌中札」を建てる家が少なくなったそうです。万一の場合も考え、留守居も必要ですね。 |
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54、中陰(四十九日)忌 |
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追善供養のなかでも四十九日忌の供養が最も大切なものとされている。中陰は、中有とも言い四有の一つ。四有は、生有、本有、死有、中有のことで、生有は母の胎内に宿りこの世に生を受けるまでの期間、本有はこの世にある期間、死有は死んでこの世から中有に移るまで、中有(中陰)は、死から次の生有までの期間とされている。この期間が四十九日忌と呼ばれ、一週間ごとに初七日、二七日・・・となり四十九日目(七七日)が満中陰で忌明けとなる。三月にまたがるといけないので忌明けは二月のうちにと相談に来られる方がいるが、ではどうして?と聞いても意味がわからない。みんなそう言うから? 忌明けの日は大切な日、日明け、仕上げ、日払い、死払いとも言う。七・七供養の日送りにより亡き人は成仏してより良い仏様の世界に生まれるとされる。中陰まで懇ろに供養するのが望ましい。 |
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55、畳の暮らし |
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広厳寺本堂の畳は百畳ほどです。永平寺はその倍以上あるでしょうか。最近の新しい住宅は昔のような床の間があったり、畳の敷かれた部屋が少なくなっています。昔の人はよく言いました。畳の上を歩くときは、敷居を踏まないこと。敷居をいつも踏んでいると敷居が曲がり、襖や障子戸が閉まらなくなる。また、畳の縁(へり)を踏まないようにと教えられました。いつもヘリを踏んでばかりいると畳の糸が切れるそうです。由緒ある寺や旧家は畳のへりに寺紋、家紋がほどこされていました。その寺紋や家紋を踏むことにもなるからです。法要の時に大勢の僧侶が本堂の中心部でぐるぐる周ってお経を上げることがあります。遶行(にょうぎょう)と言います。その時も決まって畳のヘリは踏みません。そして、ゆっくりすり足で歩きます。昔からの作法が現代では忘れ去られようとしています。寂しいかぎりですね。 |
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56、朱ローソクの使い方 |
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曹洞宗では、葬儀後の開蓮忌法要に際し朱ローソクを灯します。朱ローソクは、特に仏前結婚式、落慶法要、晋山式等のおめでたい法要儀式に用いますが、ご法事にも使用します。開蓮忌とは、死後三日目に行われる追善供養とされ、お葬式は死亡後、二日目か三日目に執行されるため、葬儀を終えた後引き続いて勤められています。一番最初のご法事である開蓮忌を懇ろにお勤めし、葬儀後、蓮の花咲く安楽浄土へ向かって旅立つことを願う、お祝いを込めたご法事です。また、それ以後、四十九日忌法要はあの世へご到着するおめでたい日であるから、朱を灯します。七回忌以降も使用しています。ご法事は亡き人の供養の為に行いますが、本当は亡き人によって仏の教えに出会うご縁をいただいていると言えます。仏法のご縁をいただける、「めでたい日」とも言えます。 |
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57、ご先祖さま |
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仏教を信仰する者であれば必ずお仏壇に朝のご挨拶をいたします。まずは朝食を頂く前に、お仏飯を供え、お水を上げ、おローソクを灯し、お線香を立て、お鈴を鳴らして静かに手をあわせます。いただきものがあったらまずお仏壇にお供えして後、ご先祖さまからそれを分けていただきます。毎日の生活の始まりは朝のお参りからです。
ご先祖さまは何人?誰にでも両親がいて、それぞれに両親がいる。そしてその2人にも同じように2人ずつの親がいて、と数えていくと・・・私の両親2人、その両親にも2人ずつ4人、3代遡ると8人、10代では1,024人、20代では1,048,576人、ものすごい数のご先祖さまになります。その1人でも欠けていたら今の自分はありません。その命のつながりに感謝することがお仏壇に手を合わすことです。「ご先祖さま」を大切にいたしましょう。 |
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58、戒名 |
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葬儀の折には必ず故人となられた方にみ仏の弟子となる戒律を授けます。これを「授戒」と言います。この時菩提寺様からつけてもらうのが戒名で、俗名から出家者としての名前(戒名)を頂くものです。
生前に授戒について授かる戒名は四文字で、道号二文字、法号二文字です。住職は法号が「英俊」で、道号は「仏学」です。「仏学英俊」と言う戒名です。「仏学」は昭和38年授戒会の戒師・永平寺七十三世熊沢泰禅禅師様より授けて頂きました。△△院、○○庵は、本来はお寺にも「院」「庵」とつくお寺があるとおり、物心両面でお寺を護持してくだされた人にお付けしています。居士、大姉、信士、信女は位号と言い戒名には含まれません。戒名は仏教徒である証しであり、お釈迦様から連なる弟子としてのみ名です。ちなみに長男が全提孝純、二男が悌山秀孝、三男が祖学恭真です。三人とも永平寺前貫首七十八世宮崎奕保禅師様から道号を付けて頂きました。家内は千徳浄圓という戒名で永平寺授戒会にて七十六世秦慧玉禅師様から頂戴しています。 |
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59、御朱印帳 |
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寺院を参拝するときや観音札所等の霊場を巡る際には「御朱印帳」を持参します。お寺のご本尊様にお参りし、各自持参したものにご住職から達筆で書かれた墨跡とお寺の印を押してもらい、御朱印料を納めて参拝記念といたします。御朱印を沢山持っている人はやがてあの世で裁きを受けるときは軽くなり、三途の川も楽々渡れるとか。当寺でも毎年寺院参拝の旅を計画し大勢参加していただいています。越後三十三観音、秩父観音三十四カ所、最上三十三観音、善光寺御開帳、奈良大和十三仏、永平寺、總持寺、真言宗智積院、各宗問わず有名寺院を参拝しています。寺巡りの旅は普段の生活から離れて自分の心を耕し、生きている命の使い方を考える旅です。ご本尊様に手を合わせることによって、功徳、御利益が増してまいります。ちなみに御朱印帳は菩提寺様にもお願いしてください。 |
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60、お香典の意味 |
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お葬式に参列するときには、「お香典(奠)」を持参します。本来は、「故人となられた方に供養のためにお香をお供えしてください」と言う意味があります。亡き人に敬意を表するとともに、相互扶助のためでもあります。法句経というお経の中に、「花の香りは風に逆らえば匂わず、されど善き人の香りは風に逆らいつつも匂う」とあります。善き人の香りとは何でしょう。「善き人」とは毎日毎日を仏の教えに照らされた日送りをしている人のことであり、その人の表情や言葉、行いが、「その人の香り」となって表れてきます。お香典とともに、自分の善い香りもお供えできるようにしたいものです。お香典を差し上げる、お焼香をする、お線香を立てる、そして、自身の善き香りを供養する。亡き人に対して心を込めて芳しい香りをお供えいたしましょう。 |
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61、葬儀の塩について |
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昔からの習慣で清めの塩が使われます。(真宗では用いません)葬儀社の香典返し(返礼品)にも小さな塩の袋が付いています。本来はなくても良いのでは、とも思っています。それは仏教の教えと何らかかわりがないものだからです。塩は、まだ冷蔵庫や冷凍食品が無い時代の保存食(塩辛いものほど長持ちする・防腐効果がある)として重宝していました。このことで死体にも腐敗がすすまないように効果があると信じられて来たかも知れません。(死体には塩はかけませんが)また、古来より死は穢れとして扱いました。
神棚を閉じるのは、神様は死体の腐敗の穢れを嫌うとされています。おなじく塩をまく風習も穢れを除くために用いられてきたものだと思います。仏教とは無縁の「浄め塩」は要らないものではないでしょうか。実際、お寺さんのお葬式では「塩」はありません。必要ありません。 |
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62、お水あげ焼香 |
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当地では葬儀後の開蓮忌法要に限らず、年忌法事の際でもお水あげをしてから焼香します。また、お盆、お彼岸に親戚宅知人宅へお参りするときには、よく「お水あげに行く」といいます。そして、お仏壇には必ず、お水ちゃわんがあり、お水の入ったヤカンと水を空ける容器がおいてあります。お水は、六種供養の「閼伽(あか=水)、塗香、華、焼香、飲食、灯明」があり、その閼伽(お水)のことです。閼伽とは、仏教で仏前に供養されるお水のことで、インドでは古く、来客に対し足をそそぐための水と食事の後口をすすぐための水が用意されたといい、それが仏教に取り入れられ、仏前に供養されるようになったものだと思います。なぜ当地方だけそのような習慣があるのか、曹洞宗だけの作法なのかも不明です。 |
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63、葬儀の花をいただく |
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式場での葬儀が多くなった昨今終了後参列者にお花の持ち帰りを勧めるようになりました。「もらってきたがさてどこへ飾ればいいのかわからない、縁起が悪い、飾るのに抵抗がある、どうしたら良いか?」と聞かれることがあります。地方によっては「葬儀の花は持ち帰るのがあたりまえ、仏さまにお供えした花は仏さまの功徳がいただける、○○さんを偲ぶためにいただく、長寿で亡くなった方の長寿にあずかる」として喜んで持ち帰る。など賛否があるが、どちらでも良い。「ああ今日はきれいなお花が飾られてさぞ故人も喜んでおられることだろう。故人の姿が偲ばれるお花でした」と故人を思いもらって帰るとよい。また、お花はこの世の無常を現しています。きれいな花も何時かは枯れるときがくる。美しい花を見て、精一杯最後まで美しく生きようと思うことが大切です。 |
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64、僧侶の衣の色 |
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曹洞宗宗制には服制規定があり、これによって僧侶の衣(直裰)の色が決められている。普段、目にする色衣は2等教師以上の住職、前住職及び副住職の者が、申請によって被着できる。緋衣は、初会結制において申請により被着できる。緋恩衣は、大和尚(結制修行した者)の法階を有する正教師の者で、年齢45歳以上の緋衣被着の許可を得た者のうちから、黄恩衣は、権大教師(年齢55歳以上)の者、赤紫恩衣は、大教師(年齢60歳以上、定員180人)の者で、紫紺恩衣は、権大教正(定員30人)の者のうちから、それぞれ、宗務、布教、教育、社会事業等に功労があると認める経歴審査会において審査選考して被着できる。特衣は、貫首及び前貫首が被着するし、副貫首もそれに準ずる。 |
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65、百か日(ひゃっかにち) |
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亡くなってから百日目にあたる日を「百か日」と言います。昔はみな土葬でしたので棺のまま(座棺)穴を掘って埋め、その上にしるしの石を置いておきました。日が経つと棺がだんだんと腐れはじめ、土が沈んでゆき、石も傾いたりずれてきます。その土が落ち着いてくるのが百日経った頃と言われていました。そのため、百日目にお墓へお参りをして、お墓に土を盛り、石を置き直し、お墓を整えて供養をしたそうです。また、百か日のことを、卒哭忌(そっこくき)とも言います。「卒」は終える、「哭」は泣き叫ぶ、そろそろ泣くことをやめにして、悲しみから抜け出して、亡き人を思い、亡き人とともに、あらたな生活をしてまいりますと心に誓う日でもあります。 |
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66、ロウソクを灯す意味 |
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ロウソクを灯すのには二つの意味がある。一つは、ロウソクの炎は「仏の智慧」を表す。ロウソクに火をつけるとその場がすぐに明るくなるように、その炎は私たちの心を明るく照らしてくれる「仏の智慧」です。ご仏前に灯すことによって、ご本尊様が私たちの生きる道を、人生の道筋を明るい「悟りの智慧」で照らしてくれているのです。二つには、ロウソクは人間の一生に喩えられる。火をつけた時が生まれたとき、そして自らのロウを燃やし続け、やがて消えるときがやって来る、寿命を終えた時です。無常の風が吹けば途中で消えることもある、病気や突然の災難によって。この世の「無常を観ぜよ」とロウソクの炎は教えてくれている。なお、お仏壇のロウソクはお参りが済んだら火を消しましょう。うっかりそのままでは火事の原因にもなります。 |
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67、お寺に魚がいる? |
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お寺の本堂にはお経の拍子を取る木魚があります。また、修行道場には木製の大きな魚(魚鼓ほう)が吊り下げてあります。これは食事等の合図に用います。なぜお寺に魚が?と思われるかも知れません。昔の人は「魚は眠らない」ものと思っていました。(実際は眠るようです、まぶたがないので目は閉じませんが)ですから、僧侶への戒めとして、「魚のように寝ないでいつも動き回れ。目覚めなさい。昼夜の別なく修行に努めよ」と、自覚を促すために毎日木魚を打しています。お寺にお参りの際は木魚をよくご覧下さい。二匹の龍が両方から一つの玉(煩悩を表す)をくわえている形で、他は魚の鱗が彫ってあります(龍頭魚身)。中はくり抜いてあって空洞ですので音響効果がよく心地よい音色がします。
木魚は高価なものですので、叩きたいときは和尚さんの許可をもらってからにしてください。 |
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68、いろは歌 |
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「色は匂へど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ 有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず」 「いろは歌」は弘法大師作と言われ、七五調の四句からなり仮名四十七文字がすべて使われている。諸行無常<色は匂へど散りぬるを>、是生滅法<我が世たれぞ常ならむ>、生滅滅已<有為の奥山今日越えて>、寂滅為楽<浅き夢みじ酔ひもせず>を説き、出典は大般涅槃経の「雪山偈」とされる。「楽しきこともすぐ消えてなくなるし、世のうつろいは誰にも止められない、迷いの山を今日越えれば、もう浅はかな夢を見たり、夢に酔いしれることもない」 一つしかない自分の人生、尊く生きよと「いろは歌」は教えている。 |
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69、故人の遺影は仏壇に必要か? |
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「お仏壇に亡くなった人の写真を飾っておくと連れていかれる、故人の魂がこの世に引き止められて成仏できない」という人がいます。「遺影を飾ってはいけない」ということには何の根拠もないし、迷信にすぎません。今まで一緒にいてくれた愛する人、ともに生活をしてきた家族、おじいちゃん、おばあちゃん等、遺影を飾ることは亡き人をいつまでも忘れないためにも必要です。あなたがいたから今の自分がある、いつも見守っていてくださいと遺影に語りかける、亡くなられた人たちの分までしっかり生きていくことを遺影に誓う。要は故人を思う気持ちが大切ですし、遺影を飾っても何も差し支えはありません。 |
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70、相悔やみ |
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ご自分の家に不幸が起きて四十九日を過ぎない間に他家にお弔いができた場合は、弔問や手伝いに行かない方がよいとされ、忌明け法要を終えたらお香典を届ける習わしです。これは共に悲しみの中にあって、お互いにそれぞれが亡き人の供養を続けることに専念する意味合いと、共に気遣いを避けるという温かい配慮の表れと感じます。しかし、絶対というわけではなく親しい間柄の人の葬儀となれば、はせ参じてお焼香しても差し支えありません。要は供養する気持ちが一番大事なことです。 |
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71、仏前結婚式 |
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仏前結婚式は、新郎新婦がみ仏の御前において、これからの人生、よき伴侶とともに、充実した素晴らしい日送りをしてまいりますと誓い、併せてご両家のご先祖さまにどうぞ見守っていてください、二人仲良く、共に助け合い、どんな困難に負けず、み仏の教えに沿って生きてまいりますとご報告をするものです。般若心経を読経し、式師というお役の方に証明していただき、数珠が授与されます。三三九度の盃を交わし、祝杯を上げます。 |
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72、お葬式は何をしている? |
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曹洞宗のお葬式は故人となられた方を仏さまにしてあの世に送ること。最初に内諷経と呼ばれる儀式を行う。剃髪し、得度の式を行い仏弟子となり、戒名(僧名)をいただき、お釈迦さま伝来の教えを授ける。導師の引導が終わると僧侶の読経で親族、会葬者がお焼香をし、香の薫りの中、黄泉へと旅立つ。葬儀の「葬」は、「草冠」と「死」と「艸」と書く。土葬の場合に掘った穴に草を敷き詰め(ゴザ)、遺体を寝せてその上に草を被せて土を盛った。因みに、「葬る」とは自宅から遠くへ(墓)移動すること。現在では会館で葬儀が主流となり49日納骨が多く見かけられるが、昔は自宅葬、納骨まで行っていた。 |
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73、玄関から出棺しない |
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自宅から遺体を出棺する際には玄関からではなく、縁側もしくは違った場所から棺を出す儀礼がある。(現在の住宅事情ではその限りではない)亡くなられた方をこの世にはもういない死者として扱い、後生の安楽、冥土の幸福を願うために、生きている人間と違うことをして黄泉の国に送る。火葬場への道順もわざと行きと帰りを変えて死霊がついて来ないようにする場合もある。今まで一緒に過ごしてきたかけがえのない大切な人を亡くすことはとてもつらい悲しいことではあるが、もうこの世の人ではないという、死という現実をしっかり見つめて、亡き人のご冥福を祈ることが大切です。 |
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74、血脈 |
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お血脈はお釈迦様から代々教えを受け継いだ和尚様方の名前を記し、当寺住職の次の弟子としてご自身のお戒名を書き入れ、一本の赤い線で結び更にお釈迦さまへと帰る、言わば系図の様なもの。住職が九十二代、授与される方は九十三代目となる。お釈迦様のみ教えをいただきその証としてお授けする。お血脈とはそれを頂くことにより、確かにお釈迦さまの弟子であることを証明するもの。多くの場合、生前に授戒(み教えを授かる)のご縁に遇う機会がないので亡くなった後の葬儀の折りお戒名をお授けしお血脈をお渡ししている。 |
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75、お供えのお花の向き |
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お仏壇または葬儀の祭壇等でお花を仏さまや故人にお供えするときには、必ずお参りする方々の方にきれいなところを向けてお飾りします。これは、「回向(えこう)」という教えからきています。回らし向けることです。仏さまに対するお供えですが供養するもの心をも浄めてくれます。仏さま、亡き人が「きれいなお花を上げていただいて有難う、どうぞみんなもこのお花のように、自分の中の美しい心の花を咲かせてください」という、回向の願いが込められています。お灯明やお線香も供養のためですが、その香り、明かりは、周りも香しくし、明るく照らしてくれます。供養は仏さま、亡き人のためであるが、その行為は自分をも幸せにしてくれるものです。 |
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76、御年始、御初穂 |
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年が改まりますとお寺からお檀家の皆様のところへ「祈祷札」を持参して新年のご挨拶にお伺いします。お寺へも沢山のお檀家様がご挨拶にお見えになります。都合でお寺へ来られない方は、ご自宅の玄関入ったところに御年始を用意して待っていてくだされます。中には、「御年始」でなく「御初穂」と表書きされたものもありますが、「御初穂」という名称は神社に対し、祈祷やお祓い、祝詞の謝礼として渡す金銭の表書きのことです。(初穂=読み方「はつほ」)。
お寺へは「御年始」とお願いいたします。また、「お札」の御利益がこぼれないようにおぼん等でお受け取りください。なお、お札はお札袋の中に入れてありますので、中から取り出してお仏壇または所定の場所にお祀りしてお参りください。 |
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77、喪中に神社のお参りは慎む |
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「喪中に神社へ行ってはいけない、鳥居はくぐってはいけない」とよく聞く。一般論で言うと、神道では、死は「穢れ」として忌み嫌い、喪中の参拝は神域に穢れを持ち込むことになるので慎むべきものとし、「鳥居をくぐってはいけない」のは神社の境内に入ってはいけないことを意味している。「喪中」は一周忌まで、「忌中」は亡くなって49日までの期間を言う。「忌中」は、死者の冥土への安らかなる旅を応援し故人を偲ぶことに心を尽くし、いろいろな行動は慎むべきであるとされている。「喪中」はほぼ制限がなくなるが、翌年年賀欠礼とし初詣では遠慮した方が良い。ちなみに、お寺へは喪中、忌中関係なくお参りしても差し支えない。これは神道と仏教の死生観の違いからくるもの。 |
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78、お盆の意味 |
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お盆の語源は、「盂蘭盆会うらぼんえ」であり、「盂蘭盆」はインドのサンスクリット語の「ウランバナ」、訳すと「逆さ吊り」と言う意味がある。これはお釈迦様の弟子目連尊者が餓鬼の世界で逆さ吊りの苦しみ受けている亡母を救うため、お釈迦様から言われたとおりに、夏の厳しい修行が終わる7月15日に修行僧に沢山の食事の供養をしたところ、亡母は天に生まれ変わったとされる。これがお盆の行事の始まりと言われている。お盆は亡くなられたご先祖様が仏の世界から帰り供養を受ける日です。故人を偲び、感謝の気持ちで心を込めてお盆をお迎えいたしましょう。 |
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79、享年(きょうねん)とは |
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お位牌に記入する際は「享年」または「行年」と書く。満年齢ではなく数え年です。「数え年」は生まれた年を一歳とし、年が変わると、一歳年を重ねるという考え方。享年は「天から享(う)けた年月」という意味がある。この世に存在していた年数を表し、享年には0歳という概念がないため、生まれた年を一歳として数えます。行年も享年と同じように、「この世に生まれてからどのくらい経過したか」を数えた数字です。数え方は、享年と同じ。享年は生きた年月、行年は生きた年であるという点に違いがあります。このような違いから、享年を記載する場合は歳をつけず「享年〇〇」、行年の場合は、「行年〇〇歳」と記載するのが正式とされていますが、最近はあまりこだわらないようです。 |
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80、三途の川 |
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「三途の川」は中国の唐の時代に作られたと言われる「十王経」にその由来がある。その教えは平安時代頃より日本に浸透する。死者は四十九日の死出の旅の途中で三途の川を渡ることになる。この川を渡るには三通りある。一に、生前に仏の教えを受け正しく生きて来た人はその川に架かった橋を渡る。二に、少しばかり悪いことをした人は浅瀬を渡る。三に、幾度となく罪を犯して生きて来た人は深く流れの強い川を苦しんで渡る。室町時代になると日本独自の十王経となり、舟で渡ることになり、三途の川の渡し賃である六文銭が必要となる。現在でも納棺の際、死に装束(旅仕度)を着せ、頭陀袋に紙に描いた六文銭を持たせる。現在の葬儀の流れは「十王経」の教えが深く入り込んでいる。 |
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81、山号とは |
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お寺には山号と寺号がある。当寺は「湖彦山」「広厳寺」です。福井県の大本山永平寺は「吉祥山」、神奈川県鶴見にある大本山總持寺は「諸嶽山」、有名なところでは、「高野山金剛峰寺」、「比叡山延暦寺」、浅草の「金龍山浅草寺」等です。お寺に山号がつくようになったのは中国からで、隋や唐の時代に三蔵法師がインドから多くの経典を持ち帰り、各地に寺院が建立されている。その時代のお寺は山中に建てられることが多く、その山の名がそのまま山号になったとされる。お寺はもともと人里離れたところで修行者の道場として機能していた。後に平地に建てられた寺も修行の場、仏の道場としての意味合いから、山号がつけられている。ちなみに「湖彦山」の由来は、四百年前、現在の寺から柴橋方面に向かって紫雲寺潟という湖水であった。御開山海應寿山和尚がその湖水に、寺から望む櫛形山脈の山々が映る姿の美しさを見て、山彦のように呼べば答える様を思い「湖彦山」と名付けられた。 |
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82、年回忌 |
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時を経るにつれて亡き人のことを思い出す日が段々少なくなってきます。仏教では年回忌をお勤めします。「忌」の字は世間一般には「イミ キラウ」とよんで縁起の悪いこととされています。しかし、この「忌」には一生懸命に思い出すという意味があり、今日は○○の三回忌、○○の十三回忌だからと思い、外のことに心を移さない、「移すことを忌む」と言います。亡き人を思い、心の中に先祖を蘇らせるのが年回忌です。年回忌には追善のご回向をいたします。追善とは生きているものが亡き人の為に善根功徳を積んであの世の幸せを祈って上げることです。回向とは「回らし向ける」ことで、ご恩をいただいた亡き人に供養の真を捧げ、みな無事に仲良く生活をしていますとご報告する場です。 |
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83、卍まんじ |
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「卍」は寺院を意味する地図記号で、英語では「スワスティカ」と言い、インドのサンスクリット語の「 スヴァスティカ 」に由来し「幸運」「幸福」という意味がある。武則天の長寿二年(693)「卍」を「萬」と読むことが定められ、吉祥万徳の集まるところ(功徳円満)ということで「卍」が漢字として使われることになった。「まんじ」は漢字の「卍」の訓読読みとされているが、由来は漢語の「卍字」または「万字」の音読みとされる。本来の意味は、釋尊の頭髪、胸毛が渦巻き状に左巻きに重なり合っている様子、吉祥、徳相が集まる印と言われている。仏教が日本に伝来すると、寺院の紋章や記号として利用されることになった。ちなみに藩政時代には津軽氏の旗印とされ、明治三十三年からは旧弘前市の市章としても用いられている。 |
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84、棺の釘打ち |
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故人とのお別れの際生花を棺に手向けた後、蓋を閉じて出棺ですが、その蓋を釘で打ち開かないように固定する儀式を「釘打ちの儀」と言います。喪主から故人との関係の深い順に一人二回ずつ釘を打ちます。昔は土葬であったため野辺送りで棺を墓地まで人の手で運ぶことが通例であった。道中に蓋が外れないように釘で打ち付け固定しました。最近では蓋が簡単に外れることはなく、儀式として行っています。また、布張りの棺もあり釘打ちの必要のないものとなっています。ご遺体は荼毘に付すことになっている現代では死者を封印すること事態が必要なくなっています。釘を打つこと、何とも切ないことですが、あの打つ音は亡き人に「あなたとはこれが最後ですよ」と言うお別れの合図ではないでしょうか。 |
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85、宗派とは |
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仏教は二千五百年前にお釈迦さまによって開かれましたが、時代を経るにつれてその教えの解釈の仕方によりいろんな宗派ができあがりました。お釈迦さま在世の頃はもちろん録音ということは無く、弟子たちそれぞれがその折々の説法を耳で聴いて理解していました。滅後大勢の弟子たちが集まり、皆が聴いた教えを一つに纏めて後世に残そうと経典が作られました。そこからまた、その教えに対してこれが正しいものでる、この方がお釈迦さまの教えそのものである。といった意見の相違からお釈迦さまの伝えたかったものは何か、これを大事な教えの根本としようという立場ができ、仏教がいろんな宗派に分かれることになる。禅宗系(曹洞宗、臨済宗、黄檗宗)、天台、真言、浄土、日蓮系(日蓮宗、法華宗)等に分派している。 |
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86、年忌法要はなぜ三と七? |
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本来は毎年故人の命日に亡き人を偲び供養すべきであるが、「三」と「七」の命日を重んじている。ゆえに一周忌以後は、三回忌、七回忌、十三回忌、十七、二十三、二十七、三十三回忌と決められている。ちなみに三十三回忌が弔い納めとされる。「三」は「二」を超える意味であり、「有・無」「損・得」など極端に偏らず生きてゆく、仏教でいう「中道」の教えによっている。「七」も六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)の世界を超えたところに悟りの世界があるとする考え方を取り入れたものとされる。(他にもいろいろな説有り)普段の生活に忙しく故人の年忌のことは忘れがちですが、「三」と「七」の本来の意味をよく理解し、故人を偲ぶとともに自分のこれからの生き方を考える、そのための大切なご法事が年忌法要であると思います。 |
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87、開眼供養 |
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開眼(かいげん)供養とはお仏壇、お墓、お位牌を新しく求めたときに行う法要です。仏の魂を迎え入れることで精入れ、魂入れなどとも呼びます。眼を書き入れることで仏が宿るとされている。古くは1300年前の東大寺の大仏完成のとき行われたと言われています。お仏像も魂を入れないものはただの置物に過ぎません。この儀式を済ませて初めて礼拝の対象となります。お墓の場合は建てた後、納骨法要と併せて行うのが一般的です。期日には決まりがありませんが、大概年忌法要に当たる年、お盆、お彼岸に合わせて供養しています。また、墓終いをするとき、仏壇の塗り直しや処分するときには「閉眼供養」をして宿っている仏様の魂を抜く必要があります。その後お墓は石屋さんに解体してもらい更地に戻します。お仏壇は仏壇屋さんにお願いして引き取ってもらいます。 |
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88、畳の縁(へり) |
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最近の住宅は畳の部屋がほとんど無くなりました。お仏壇も小規模のものとなりフローリングやじゅうたんの部屋に置かれています。お寺の本堂や一般の住宅でも床の間のある部屋には畳が敷かれています。畳の長辺に縫い合わされた布を縁(へり)と言います。昔から縁は踏んではいけないと言われています。縁は結界であり上下の座る位置を示していたり、縁の模様で序列があったようです。紋の付いた縁もあり、縁を踏むとその家の家紋を踏むことになると言って避けていました。永平寺で修行中も畳の縁は踏まないこと、畳内を巡るときは斜めに横切らないでなるべく直角に曲がること、歩くときにはすり足を心がけること等指導を受けました。また、敷居も踏まないように教えられました。僧侶は読経中に道場内を巡るときには特に気を付けています。 |
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89、香を焚く意味 |
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お通夜、お葬儀、ご法事等の仏事には必ずお香を焚きます。香の薫りで仏前を荘厳(清める)するものです。芳しい薫りで心身ともに清め落ち着いた心でお参りをします。曹洞宗では姿勢を正し、手を合わせたのち、お線香を真っ直ぐに一本立てます。なるべく香りのよいものをお選びください。お焼香の作法は親指、人差し指、中指の三本で香をつまみ二回焚きます。初香は額に押し頂き、二回目はつまんでそのまま焼べます。葬儀など参列者が多い時は一回でも構いません。お線香もお焼香もご本尊さま、ご先祖さま、亡き人に対して敬虔な気持ちを持って接することです。大事なことは、私はいま焚いたこの香りのように清らかに生きてまいりますと仏前に誓い、どうぞ香り良い世界で安らかにお暮らしくださいと真摯に願うことです。 |
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90、葬儀と告別式 |
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葬儀は宗教儀式の事を意味する。仏教(曹洞宗)では故人に対しての授戒(お釈迦様のみ教え、お戒名、お血脈授与)に始まりそれに伴う僧侶の読経、引導を渡すまでを葬儀と言う。神道は祝詞を上げること、キリスト教は祈りの作法等です。この場合には会葬者はいなくても構いません。
告別式とは故人と遺族、会葬者が最後のお別れをする儀式です。参列者への弔電披露や祭壇前でのお別れのお焼香、出棺の際の読経、お花入れ等が告別式にあたる。葬儀と告別式は違う意味合いがあるが現在では同時進行で行われている。ちなみに、お通夜は家族、親族、親しい友人たちが故人と過ごす最後の夜のことであり、夜通しと書くことから、集まった人たちが夜を徹して起きて故人を偲び、生前の思い出を語り合い、その素晴らしい生き方に学ぶ大切な時間です。 |
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91、除夜の鐘 |
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十二月三十一日(大晦日)の夜半から元日にかけてお寺で撞く鐘のことを除夜の鐘と言う。人間の心の中にある百八の煩悩を除くことを願って百八回撞く(数にこだわらないで撞く場合もある)。また、住宅街にある寺院では近年諸般の事情から三十一日の昼間に撞いているところもある。新しい年が幸せな一年になるよう願いを込めて鐘を撞く。百八の数は仏教で説く、四苦(生老病死・4×9=36)+八苦(怨憎会苦、五蘊盛苦、求不得苦、愛別離苦・8×9=72)で百八としたり、月の数(12)+二十四節気(24)+七十二候(72)で百八など諸説がある。除夜の鐘を撞きこの一年の感謝と新しい一年の無事を祈る。 |
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92、遺偈 |
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この命がいつ終わりを迎えるのか、この世を去るのがいつなのか、誰にも分からない。その時に及んで家族や近親のものに残す言葉を遺言と呼んでいる。僧侶は毎年、年が改まると辞世の句(今まで生きて来た境涯)を残す。これを遺偈(ゆいげ)と言う。
道元禅師様の遺偈は、「五十四年 第一天を照らす 箇の■跳を打して大千を触破す 咦 渾身覓むる無く 活きながら黄泉に陷つ」*■は足へんに孛 〔口語訳〕五十四年の間、ひたすら第一天を照らし〈ひとすじに仏法を求め〉、飛び跳ねて宇宙の果てまで駆けめぐった〈正法の仏法とめぐりあった〉。ああ、いきながら黄泉に落ちようとも、もう何も求めることはない。「道元」角田泰隆師より。道元様のご命日は建長五年(1253)九月二十九日。今年は七七〇回忌を迎えた。いつまでもあの世から私たちを見守ってくれている。 |
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